7-8月のTARO NASUは多和田有希の3年ぶりの新作個展を開催いたします。

多和田は1978年静岡生まれ。2003年に東北大学応用生物化学科生命工学専攻を卒業。在籍中にUniversity of California, Fine Artに交換留学。2005年、University of the Arts London Camberwell College of Arts, Photography卒業。 2008年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程修了、2011年博士後期課程を修了。

多和田は写真の表面を物理的に傷つけることによって、新たなイメージを表出させる作品を展開してきました。 今回の個展「Burnt Photographs」では、焼き切った写真をレイヤー状に重ね、イメージを構成した新作シリーズ「Shells」より約10点を展示の予定です。

「Burnt Photographs」

私がやろうとしているのは、プリント上に定着され閉じ込められた被写体の魂(のようなもの)を吸い出し解放する行為に似ていると思う。写真を撮影するとき被写体の魂が吸いとられると恐れられていた時代があったが、シャッターを押す瞬間とプリントを破壊していく行為中に私は同じ気持ち良さを感じている。

私が作っているのは抜け殻だ。曾祖母や祖母、そして母の庭には、毎夏おびただしい数の蝉の抜け殻が残されていたのを思い出す。そこに実体は既にないけれども、確かな存在感が依然としてあった。この感覚はただの灰を外国の海へ散骨に赴かせてしまう気持ちと根本は同じであろう。

例えば、自分の顔を撮影したプリントに焼きごてをあてているとき、実際に自分の顔が焼かれているような感覚に捕らわれるように、私は被写体として、心情的に焼き難い反面焼いている最中にはタブーを破るような快感を感じさせ、そして焼いても被写体に最終的には許してもらえると私に感じさせる“何か”を孕んでいるものを選んだ。かつて供儀に捧げられていたモチーフである花や動物、仏像や光輪、祈り踊り裸で横たわる若い男女や子供は、具体的には東京の博物館の剥製動物や植物園でしか生きられない熱帯植物、浜松のサンバカーニバルや観光客用のバリダンスなど、野性の見本として都市に集められ陳列やパフォーマンスされたもの、寺社から切り離され展示された宗教的遺物、家族と離ればなれに都市に移り住む人間など、元在った土地から都市にかき集められたものたちだ。それらはアジアの宗教画に見られる鳥や蝶、花などの動植物、天女などの精霊、腕や頭を複数持つ神や怪物といったモチーフに私の想像力の中で生まれ変わる。

制作を通して、私は被写体たちが何故特別に生け贄として選ばれていたのかという理由をぼんやりと理解することができる。スタティックな写真が、焼かれ、壊されることで有機体に還る。抜け殻の集積はドローイングのラインとなり、 “かつてそこに存在していた特別な何か”を逆説的に観るものに暗示するのである。

多和田有希