“La Propagation-A” 1972
“Untitled” 1972
“White Stream-72” 1972
“Stream Red” 1972
“Stream-72” 1972
“Propagation-Pink-3-72” 1972
“Propagation 72-2” 1972
photo by Keizo Kioku

1937 年大阪生まれ、パリを拠点に制作活動中。1960 年具体美術展に初出展したのち、木工用ボンドを用いた抽象絵画作品を吉原治良に認められ、1963 年、具体美術協会会員となる。1966 年フランス政府留学生選抜第1 回毎日美術コンクールでグランプリを受賞し渡仏。以降、平面、立体、パフォーマンスなど多彩な作品を発表し続けている。国内では西宮市大谷記念美術館や神奈川県立近代美術館などで個展を開催。近年はパリのポンピドゥー・センター国立近代美術館に作品が収蔵されたほか、2017 年のヴェニスビエンナーレではセントラルパヴィリオンの企画展「Viva Arte Viva」に参加するなど国際的な活躍でさらなる注目を集めている。

1966年に渡仏した松谷は1967年、Stanley William Hayterの主宰するAtelier17で助手として働きながら銅版画やシルクスクリーンでの制作を行う。1950年にNYからパリへ拠点を移したHayterのアトリエは国際的なアーティストの交流の場となっており、ルイーズ・ブルジョア、サルバドール・ダリ、マックス・エルンスト、ジョアン・ミロ、ジョーン・ミッチェル等の制作にも影響を与える存在であった。30歳になったばかりの松谷にとってそこは様々な芸術活動の実験的実践を目撃する刺激的な場所であり、アメリカのミニマリスム、とりわけエルスワース・ケリーに大きな影響を受けたという。1970年代には短期間ではあるものの松谷はNYで暮らし、そこでも当時NY界隈の画廊で全盛期を誇っていたHard edge paintingを目にすることになる。これまでも取り組んできた有機的な形態への探求にこれらの新たな刺激が加わり、色彩豊かな色面構成と即興性や偶然性を排除した緻密な構図のバランスを特徴とする松谷の「ハードエッジ」絵画はこのようにして生まれたのである。

TARO NASUでの初めての個展となる今回は、1960年代から1970年代にかけて松谷が精力的に取り組んだ「ハードエッジ」シリーズのペインティングを中心に、近作を含む約20点の作品を展示し、その後の作品群へと続く作家の思考の展開を読み解くことを試みる。