TARO NASU では6月30日より片山博文新作個展「羊をつくる」を開催いたします。
片山博文
1980年広島生まれ、現在は広島にて制作活動中。
主な展覧会に、2013年「Facts in Flatness」(TARO NASU)、2009年「Exchangeable」(TARO NASU)、2008年「VOCA展2008 現代美術の展望―新しい平面の作家たち」(上野の森美術館)、2005年「サイトグラフィックス」(川崎市市民ミュージアム)など。
10年ぶりとなる個展「羊をつくる」において、片山博文は人工知能による画像生成である敵対的生成ネットワーク(GAN)の手法を用いた新作を発表する。展示されるすべての作品は、片山自身が撮影した大量の写真を学習データとして使用することで生成されたイメージである。遡れば、2013年、片山が発表した「Vectorscapes」シリーズは、写真をパソコンに取り込み、イメージを数値へと変換させることで、 写真の姿を借りたコンピューターグラフィックス=「偽物の写真」を作り出す作品群であった。今回の新作もまた、技法は異なるものの、写真の偽物を作るという、片山が追求し続けてきた主題が繰り返される。
1968年に出版された「アンドロイドは電気羊の夢を見るか Do Androids Dream of Electric Sheep?」は、フィリップ・K・ディックが、SF小説の形式を用いて人間と人造人間(アンドロイド)の関わりを描いた作品である。テクノロジーの進化が生み出した人造人間を「廃棄処理」することで生計をたてている主人公は、人造人間の「人間より人間らしい」側面を知って、人間と機械の関係や「本物とは何か」という問いに向き合うことを余儀なくされる。それはまた「ほんもの」を本物たらしめる「本当らしさ」とは何かをめぐる問いでもあった。
この時、ディックが立てた命題は色褪せるどころか、人工知能の多様な進化と展開に揺れる近年、さらに切実なものとなっている。小説では、主人公にとって羊を飼うという夢が人間性の回復の象徴となっていた。人工知能が、人間が作り出した新たな人間だとしたら、彼らが夢見るのは果たして機械仕掛けの羊なのか、それとも彼らの願望の対象もまた人間と同じように本物の羊なのだろうか。
人工知能を用いた画像生成は、単純な機械的な操作でもなく、かつ人為的な行為でもないところが面白い、と語る片山は、これまでも「本物」という概念に対して人間が見せる執着への興味を制作の重要な要素としてきた。「偽物」と比べることでしか「本物」は確認しえないのか。写真は「現実の偽物」と言い得るのか。「写真の偽物」は「現実の偽物」でもあり得るのか。写真が映し出す「本物」とはなんなのか。
人工知能によって写真のリアリティが急速に失われつつある現代において、片山の新作は「本物」という存在をめぐる複雑で奥深い迷宮に鑑賞者を誘いこむのである。